【頑固一筆!】京都への誤解(1)   

「京のぶぶ漬け」

 東京へ行くようになって、「京都では、お茶漬けを食べるように言われても食べてはいけないんでしょう」としばしば聞かれ、うんざりさせられることがある。いわゆる「京のぶぶ漬け」の話だが、確かに僕の子供時分にはそういうことはあった。
 友達の家に遊びに行って、夕飯時になると、その家のお母さんが「お茶漬けでも」と声をかける。それは、「そろそろ晩御飯なので、お家へお帰りなさい」という合図で、僕らはそれを機に、「おやかまっさんでした」(うるさくして失礼しました)と言って辞去したものだ。また、母親からそう教えられて育ってきた。
 誤解されているような、いけず(意地悪)とも、お愛想とも違う。「夕飯だからもう帰って」と直截な物言いをするのを憚って、「お茶漬けでも」という間接的な表現で伝えようとした、いわば高等なコミュニケーションなのだ。日本人は、古来、こうした「察しのコミュニケーション」を大切にしてきたはずで、その意図を察せられないようでは、「おつむ(頭)の悪いお人やなあ」と教養を疑われることになる。
 もっとも、直裁的な物言いが幅を利かす今どき、「京のぶぶ漬け」など死語に近い。生き残っているとしたら、団塊世代の親の代ぐらいまでだろう。ついでにいえば、私は京都の中京の古い家で生まれ育ったが、「ぶぶ漬け」という言葉を聞いた覚えがない。お茶を今でも「おぶ」と言うが、お茶漬けは「おぶ漬け」「ぶぶ漬け」ではなく、普通に「お茶漬け」と言っていた気がする。ほかの家はどうだったのか、小学校の同級生に一度尋ねてみようと思う。(ひ)
[PR]

by wordweb | 2008-05-22 16:30 | 頑固一筆

<< 夜に爪を切ると…… 台風! >>